日頃の指導
門下生の指導にあたる姿勢は、山本五十六元帥の教育論以上のものは見つかりません。曰く「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」に尽きます。そのように指導したいと念願しています。
先生が言葉だけで出来ないことを門下生に教えることはできません。
言いっぱなしでは教えたことにはなりません。先生には話す前に聞く構えを門下生、とくに子供には取らせる努力が必要です。その為教える人数には自ずから限りがあります。習いごとにマスプロ方式は向きません。
子供に限らず習い事で叱られるのは辛いものがあります。とくに意欲と期待を持って自主的に習いに来る人には毎日の努力の結果に必ず向上が観られる筈です。日々それをしっかり観付けてやり、世辞になることなく褒めてやることが指導者の義務であり向上が継続する基と考えています。勿論間違った解釈、癖はわかりやすく指摘し正しい方向へ修正させます。
・立派な剣士を目指そうという門下生はたとえ幼少の子供でも敬意を表し遇されるべきです。剣士への道は礼節を重んじ西欧流の紳士淑女養成の道に匹敵します。道場によっては子供や学生を呼ぶ時人前で呼び捨てにし、まるで小僧扱いしているかに見える道場も見受けられます。逆に学校では教師と子供の師弟関係が崩れ去り友達関係に変わっていると言われます。習いごとの尊さは指導者と門下生の間で作り上げるものです。まして武士道を体現しようとする剣道の場では社会の模範とならなければなりません。忠孝の精神と上下の敬意・礼節は両立です。少年少女には武士道の精神を体現し、剣道を離れることがあっても将来世界に出た時に尊敬される日本人になって欲しいと切に念願します。
日々の稽古
・門下生の年齢・技量・体力・目的により日頃の稽古・指導法は変える部分と変わらない部分があります。当道場では六七段の高段者から低学年の小学性まで日々稽古に励んでいますが、基本稽古を中心とする点では変わりません。例えば構えと姿勢・気勢・相手の動きを見てそれより早く打ち込むための集中力の鍛錬は子供も高段者も変わりません。子供の集中力養成は勉学にも充分活かすことが出来ます。しかしながら礼法、足捌き、体捌き、体力増進、応用技の習得といった面は技量、体力、年齢などにより目標を決めて習得する必要があります。
・強くなりたいと意欲のある子供にはそれに見合った稽古を提供します。
・時間に追われる現代人は子供、大人に限らず稽古量が少なくなりがちです。そのため稽古の質を高める必要がありますが、それには結局適った基本の研鑽が合理的であり近道です。極力そのような稽古を薦めています。
・最後に稽古は飽く迄も心身鍛練の修行ですので楽しい、楽な稽古はありません。門下生其々のレベルに見合った厳しさが体力、技量、精神力の向上には必要です。道場は社交サロンではないのでまずは理由を付けて逃避したい雑念を払い無心で鍛錬に挑戦することです。そうした稽古の後には必ず清々しい満足感が提供されます。