剣道場「観心館菊池道場」ご紹介

範士の鑑と称せられた創立者
初代館長 範士八段 菊池 傅

大正6年12月1日生まれ
昭和11年3月横浜市立本牧中学卒、高野佐三郎の修道学院に入塾 剣道の専門家を志す、同時に勉学のため日本大学入学
昭和17年兵役応召のため退塾、終戦後昭和21年復員するが剣道は禁制のため民間企業に就職
昭和28年剣道復活と同時に剣道師範として神奈川県警察に奉職 以後昭和48年から首席師範を務めるなど神奈川県警察剣道の今日に至る興隆に貢献し、神奈川県警察名誉師範の称号を授与される
神奈川県剣道連盟では永年に亘り理事長、会長を歴任し剣道の復活、隆盛の礎を築き、全剣連では全日本選手権、都道府県対抗、東西対抗、明治村大会等々数多くの大会に選手として出場しその後各大会の審判員、審判長として、また評議員、審議員として戦後剣道の復活、普及、向上に功績を残した
また戦後の剣道指導者として声望の厚いところから友愛武徳殿館長、横浜国立大学講師、東海大学講師、神奈川大学師範、東京税関師範等々を歴任し、昭和49年永年の剣道に対する個人的な想いをかたちあるものにしたいと観心館を設立し、少年、青年婦女子の指導、育成に傾注し多くの門下生を輩出した
平成23年6月13日逝去(享年93歳)

 

観心館命名の由来と剣道修行の目標:観心証道

剣道は心身鍛練の道といわれますが、「今の剣道に心を鍛えることが本当に出来るだろうか」と創立者は永年の修行のなかで考えてきました。真剣をまったく前提としない竹刀打ちはややもすると竹刀をまるで布団叩きの竹棒のように振り回し、当てっこゲームに陥りかねません。しっかり剣を使えるようになっても立ち会いながらまた終わった後で自身の様々な慾に因する雑念が生じないよう、常に無心で剣を交えるようになるにはどういう過程が必要だろうか。永遠に真剣を交えることを想定しない今日の竹刀剣道で心の鍛錬を失わないにはどのような修行を目標としたらよいのか。そして常に自分の気持ちの動きを冷静に観察することで心の鍛錬のよりどころを得、それが技に現れるような修業を心掛けるというのが創立者菊池 傅が剣道に求めた目標です。
剣道場「観心館菊池道場」ご紹介

修行の道:覇道と王道

・武道・スポーツにはいかなる手段を使ってでも試合の勝利を至上とする言わば覇道と、自身の真剣な心身練磨の上に理に適った力を研鑽し都度それを試しながら極めようとする王道があるとすれば、明らかに当道場では王道を追求する場を目指します。専門家を目指す人には時として輝かしい成績を示すことが求められ覇道に徹する修行者もいます。学校によってはその教科学習がより偏差値の高い受験結果を目指す傾向が見受けられるのと同様、剣道も短絡的に校外試合での早期の成果を目標とした訓練が日頃の稽古の代用になることもあります。
・剣道では試合の目的は日頃の修行の成果を相手を選んで試すことです。お互いに充実した体勢で飽く迄先を取り合い技を競い合うと誰がみても立派な試合であることが分かります。これは初心者の試合でも高段者の試合にも当てはまります。試合に限らず日頃の稽古においても無心で競い合うことが出来ると当事者は勝敗にかかわらず自ずから相手に対する感謝の念が生まれ自然と頭が下がります。試合は飽く迄も長い道程における試しであって、真剣勝負ではありませんので、修行者は試しとその結果に執着することなく本来の目的実現に向け努力を続けることが大切です。

剣道の理念

・全剣連の剣道の理念は、「剣の理法の修練による人間形成の道である」とされています。
・理法とは数百年に亘る歴史の中で先達によって絶え間ない試行と工夫によって編み出されてきた言わば合理的な剣の技です。具体的にそれは剣道の「基本」に収斂されます。初心者には初心者の基本が、高段者には高段者が示す基本があり、奥の深いものです。当道場ではこうした基本稽古を中心に研鑽します。
・この「理念」及び「剣道修練の心構え」には形成されるべき人間像が具体的にどのようなものであるかは示されていません。しかし剣道の歴史と私たちの国柄を考えればそれが武士道の精神を体現することと同一であることは自ずから解釈可能です。「徳川時代に至り文教の興隆と共に武士道の精神は忠孝を本とし、武勇を尚び、節義を重んじ、廉恥を貴び、礼儀を正しくし、信義に厚く質素を旨とし、名を惜しみ博愛を主とする」とあります(『剣道』高野佐三郎著)。これらの徳を今日や未来の時代価値に即して人間形成の目標とし研鑽していきましょう。
観心館は創立者の目標とした剣道修行に則り、また剣道の理念を未来に向け心身で実現出来るような修行の場を目指しています。